雑記

私(余白レディ)のプロフィール

私のプロフィールこんにちは、余白レディ(@yohakulady)です。アラフォーの私の、記憶がぼんやりしてきた過去を遡りまとめてみます。

私、余白レディのこと

OLを約20年続けてきました。3回転職し、今は大手百貨店のバイヤーです。
好きなことをとことん追求したいという前向きな気持ちではなく、人間関係のストレスから解放されたいという逃げの気持ちと将来不安が先立ち、海外デジタルノマドを目指します。

20代の日本人海外ノマドが増えて活躍されていますが、一回り年上でのスタートです。今からでも自分の欲する人生が歩めるか不安ながらも、人と比べず、マイペースで、自分らしくやっていきます。

私ができること

  • トレンドウォッチ・情報収集
  • プログラミング(鋭意学習中)
  • 独身女性ひとりで海外移住方法の指南(現在準備中)

私の好きなこと・もの

  • ひとり旅
  • おいしいもの食べ歩き
  • 海外ドラマ
  • ファッション

 

子どもの頃・学生時代を振り返る

自分の性格や思考の持ち方を改めて考えるにあたり、過去を振り返ってみました。あまりにも長くなるので、社会人経験は別の機会にまとめるつもりです。

生まれてから幼稚園生まで

昭和後期の大雪の日に生まれました。早生まれで、1ヶ月早く未熟児で生まれ、「小さい子」として生まれ育ちました。食が細くて、人見知りで、感受性が豊かすぎて不安定な赤ちゃんで、母にとって初めての子育ては大変苦労したそうです。両親にとって初めての子ども、母方の祖父母にとって初めての孫ということで、大切に育ててもらいました。

幼稚園では毎朝登園時に泣き、給食やおやつを人並みに食べることができず廊下で居残りして食べさせられ、好き嫌いが多いのでいつまでも完食できませんでした。元々小柄なのに周りとどんどん体格差が広がり、劣等感の塊で社会へデビューしました。

小学生の頃

小学校に入学してもおとなしくて小さいままでした。ただ、私は勉強ができる子でした。それに字や絵も上手で、何も努力しないでも、周囲に褒められることが多くなりました。コツコツ努力する必要がなかったので、漢字の書き取りや計算のドリルの宿題が嫌いでした。

作文や習字や絵画で受賞することが多かったものの、がんばっているわけではないので特別な感情はありませんでした。何か一工夫するのが好きで自分の強みと思っているところはありました。また、微妙なセンスを重んじたいというのは子ども心に芽生えていました。

私が小2の時に妹が生まれ、小3の時に弟が小学校に入学しました。3人兄弟の中で長子で、そつなく学校生活を送り、静かで自己主張しない私が豹変したのが小3の2学期でした。末っ子の妹はかわいい赤ちゃんでみんなのアイドル、やんちゃな弟はスポーツ万能で人気者。彼らがいつも周囲から注目を浴びて、このまま黙っていたら誰にも気に留めてもらえないと焦ったのかもしれません。

家でも学校でも目立つ言動をするようになった私は、もともとおとなしくても評価されていたことの妬みを持たれたり、やや悪目立ちするようになりました。この頃から生きづらさを感じていたように思います。

中学生の頃

そつなく勉強ができるのは変わりませんでした。勉強しなくても、なんとなく記憶に残っているので、勉強らしい勉強をしませんでしたが、いつも学年トップレベルにいました。今ではありえないでしょうが、男子に「女子なんだから勉強できなくていい!」とライバル心むき出しのハラスメントを受けていました。ガリ勉タイプでもなく、特別上昇志向があったわけでもないので気にしていませんでしたけど。

それより部活のほうがハードでした。放課後はいつも部活、休日もいつも部活でした。上下関係の厳しさも同時に学びました。毎日のかなり激しいトレーニングと、食欲が増したことで、身長が一気に10cm伸びました。痩せっぽっちのままでしたが、縦の大きさは人並みに成長しました。

高校生の頃

何も考えず自宅から一番近い公立高校普通科に通いました。受験勉強らしい準備はもちろん不要で、制服が刷新されてかわいくなるということで、安易な気持ちで入学しました。しかし入学初日に「つまらない」と感じました。知っている顔が多いのと、知らない人もグループ化しているので、閉鎖的な雰囲気がすでにできあがっていたからです。田舎は嫌だな。いっそアメリカ留学したいな。とずっと思い、本で調べたりしていました。当時はインターネットで情報を得ることはできず、頭の中も閉塞感しかない状況でした。

高校に入ると勉強はきちんとやらないと追いつかなくなりました。特に理数系と歴史に苦労して、唯一得意だったのは英語です。塾に通ってまじめに勉強する気はなかったので、毎日少しずつ勉強する癖をつけることをこの時初めてやってみました。焦りと負けず嫌いの気持ちが芽生え、学年トップをキープできました。本人は「勉強ついていけない」と思っていましたが、周囲はそれ以上についていけてなかったからです。トップになれても、それは自分の実力と努力ではなく、全体レベルが低いからとわかって、ますますつまらなく感じていました。早く外の世界を知りたいという気持ちばかり先行して、あまり楽しめませんでした。

大学生の頃

高校時代に常にトップだったので、推薦で京都の次第に入学できました。そのため、一般的な入試は経験せず、高校受験同様、大学受験も普通に経験していません。大学に入学すると同時に実家を離れて、夢のひとり暮らしが始まりました。きれいな新築の部屋選んでくれた両親にはとても感謝しています。友だちや彼氏ができて、気持ちに隔りのない、自由な日々を送ることができて充実していました。

しかし私が19歳の時、父が病死しました。一家の大黒柱で自営業を営んでいた父は子煩悩で私たち兄弟をかわいがってくれていました。そして何より私の性格や能力の一番の理解者でした。その後母は女手一つで子育てをしなければなりませんでしたが、私を大学に通わせ続けてくれました。私はこの頃から奨学金をもらいましたが、アルバイトをしながらも普通の大学生活を送ることができました。家賃や生活費の仕送りをずっと続けてくれた母に感謝しかありません。

ただ、時代は就職氷河期でした。また、私自身サラリーマン家系で育っていなくて、過去の受験時もライバルと戦うということを経験していませんでした。企業に就職するということをイメージできず、就職活動に参戦することができませんでした。甘えと諦めと、なぜか就活をする気が起きませんでした。高校までと異なり先生に怒られることもないので何も考えず、同級生たちががんばっていた時、運転免許証取得のため自動車学校に通いました。

大学の卒業単位は3年間で取得済みだったので、卒業を控えた約10ヶ月前にはひとり暮らしの部屋を引き払い実家で生活しました。思いつきで地元の公務員試験を夏に受験しましたが、準備が足りずもちろん失敗。悔しさも特になく、悲壮感や焦燥感もないまま時が過ぎ、大学卒業後は地元のソフトウェア会社の営業アシスタントとして勤めることになりました。